身体の不調を測る言葉や仕組みは、すでに社会の中に数多く存在している。体温、血圧、歩数、睡眠時間。人は自らの身体状態を数値で把握し、必要に応じて行動を変えることに慣れている。
一方で、生活、仕事、学習、運転といった日常の基盤に深く関わる認知機能については、いまだ日常語として扱いにくい。状態の揺らぎは確かに存在するのに、それをどう捉え、どう向き合うかの共通言語が乏しいからである。
今回ZEROICHI編集部は、株式会社トータルブレインケア(兵庫県神戸市中央区 代表取締役社長 河越眞介氏)を取材した。取材対象は同社代表取締役社長の河越氏であり、本稿はその取材内容と公開情報をもとに構成した記事である。
同社を高齢者向けの認知症予防に関わる会社としてのみ捉えると、この会社の射程は見誤られる。むしろ同社が試みているのは、認知機能を“脳体力”という社会語へ翻訳し、医療・介護の外側にまで社会実装していくことである。
会社としても、認知機能に関するツールやプログラムの提供を基盤に、医学・医療・介護で培った知見を健康経営、ヒヤリハット、スポーツなどへ展開していると説明している。
認知機能は、なぜ社会で扱いにくかったのか

河越氏が見ているのは、認知機能が本来、生活や就労や安全の基盤であるにもかかわらず、社会の中では十分に扱われてこなかったという現実である。
取材では、認知機能は記憶だけではなく、注意、空間認識、計画性などを含む複合的なものであり、しかもストレスや睡眠不足などによって日々変動しうるものとして語られた。
そうした変化を捉えないことが、事故や仕事のパフォーマンスの揺れにつながりうるというのが、河越氏の問題意識である。
しかし「認知」という言葉は、日常の中ではしばしば「認知症」という語と強く結びついて受け取られる。すると、認知機能は病気や衰えの文脈に回収されやすくなり、予防の前段階である“日々の把握”や“自分ごと化”が進みにくい。
ZEROICHI編集部が今回このテーマに関心を寄せたのも、トータルブレインケアが単に認知症の周辺を扱っているのではなく、見えにくい認知の力そのものを社会に定着させようとしているように見えたからである。
“脳体力”は、ネーミングではなく社会翻訳である
河越氏は、こうした誤解を避けるために「脳体力」という言葉を用いている。取材ではこれを、病気の軸ではなく、生活や仕事においてよりよいパフォーマンスを発揮するために把握し、整え、鍛えていくべき指標として位置づけていた。
つまり脳体力とは、認知機能を前向きな軸へ移し替えるための言葉であり、単なるキャッチコピーではない。

この発想には、社会翻訳としての意味がある。
「認知機能」という専門用語のままでは距離があり、「認知症」という語ではネガティブな連想が強すぎる。そこに「脳体力」という言葉を差し込むことで、年齢を問わず、自分の状態を前向きに捉えやすくする。
親子の会話や日常的な声かけの中で、「脳体力を鍛えていこう」という使い方が可能になると河越氏は見ている。
同社公式サイトでも、「やりたいこと」を「いつまでもできる」ウェルビーイングの実現を掲げている。これは認知機能を病気の話に閉じ込めるのではなく、人生の基礎体力として捉え直そうとする姿勢と整合している。
トータルブレインケアの特異性は、“測る”ことより“社会へつなぐ”ことにある

トータルブレインケアの特徴は、認知機能を測る仕組みを持っていることだけではない。重要なのは、それを社会の中で使える構造へつないでいる点である。
同社は、認知機能のアセスメント・ソリューションの基軸となる「脳体力トレーナーCogEvo」を開発し、そこから各業界との提携によってソリューションプラットフォームを構築してきたという。
公式サイトでも、CogEvoは「脳のリハビリテーションから生まれた、認知機能のチェックとトレーニングができるクラウドサービス」と位置づけられている。
医療現場では、認知症短期集中リハビリテーションにおいて、セラピストが認知機能別の訓練を支援する補助ツールとしてCogEvoが活用されているという。認知症の原因疾患そのものへの治療を目的とするものではなく、生活に必要な認知機能ごとの訓練を通じて、生活の質の向上を目指す取り組みの中で用いられているという整理である。
また、高次脳機能障害のある人が退院後、医師の指導のもとで、日常生活や就労に関わる認知機能のトレーニングを行う場面でも活用が広がっている。
そのうえで同社は、医療・介護分野で培った知見や運用実績を起点に、健康経営、ヒヤリハット、スポーツなどへ展開している。公式にも、医学・医療・介護で培ったエビデンスをもとに、各分野へのソリューション展開を進めていると説明されている。
取材でも、河越氏は医療・介護だけでなく、職場メンタルヘルスや生涯学習へ広げてきた経緯を語っている。認知機能を5分程度で測定し、認知特性や経時変化まで把握できる点が評価され、他領域への応用可能性が開けたという文脈である。
ここで見えてくるのは、同社の本質が「測定ツール企業」ではなく、認知機能を可視化し、意味づけし、各産業へ実装する会社であるという点である。
さらに河越氏は、自社だけで市場を独占するというより、基盤を担う側に立ちたいという志向も語っている。いわば、単体サービスの販売会社ではなく、認知機能市場の基盤企業になろうとしているのである。
高齢化だけではない。“脳体力”が必要とされる現場
この構想は、高齢者支援に限られない。むしろ河越氏の発言を追うと、認知機能は複数の社会課題の手前にある共通変数として捉えられている。
ひとつは、高齢化社会における自立支援である。
認知機能の変化は、認知症の診断有無とは別に、生活のしやすさや日々の判断力に関わる。早く変化に気づき、日常の中で向き合う仕組みが必要だという発想は、この領域に根を持つ。
もうひとつは、働く世代のメンタルヘルスと人的資本経営である。
取材では、既存のストレスチェック制度では産業医につながる人が少なく、制度導入後もメンタル不調による労災の増加という課題が残っているという認識が語られた。
そのうえで、日常的に認知機能の状態を把握することが、より前段階の状態把握やパフォーマンス支援につながる可能性があるという議論が紹介されている。
さらに、学び直しや教育の領域もある。
認知機能は加齢とともに変化するだけでなく、日々の生活習慣や学習・訓練との関係の中で捉えることができるという見方に立てば、学習の土台として扱う余地がある。加えて、運転や現場の安全管理、ヒヤリハットの領域では、日々の注意力や空間認識の変化が重大な結果につながりうる。
河越氏は、こうした分野を今後の現実的な突破口と見ている。
重要なのは、これらの領域がバラバラに並んでいるのではなく、すべての手前に認知機能があるという因果線でつながっていることである。
“社会課題”を掲げるだけでは届かない。求められるのは線引きと信用である
もっとも、認知機能は期待を集めやすいテーマであるだけに、表現を誤れば誤解を招きやすい。
この点について河越氏は取材の中で、日本の薬機法・医療法のもとでは、病気の診断に関わる表現は医療機器に関わる領域に入るため、同社としては「状態の表現」に留めることを強く意識していると説明した。
100点だったものが80点になっている、あるいは日々の変化を見て生活習慣を見直す、といった使い方である。診断や治療をうたうのではなく、状態把握のための指標として提示するという線引きである。
公式サイトでも、「脳体力トレーナーCogEvoは医療機器ではありません」と明記されている。
ここに、同社の信用形成のポイントがある。
認知機能を扱う企業として期待を煽ることはたやすい。しかし同社の価値は、何でも言えることではなく、何を言わないかを理解していることにもある。
医療と非医療の線引き、相関と断定の線引き、改善の可能性と保証の線引き。その境界を踏み外さずに社会実装を進めることが、この領域では不可欠なのである。
トータルブレインケアは、なぜ市場づくりまでやろうとしているのか
トータルブレインケアのもうひとつの特徴は、製品を売るだけでは足りないと理解している点にある。
認知機能領域は、概念の理解、実証、導入設計、活用できる人材が揃わなければ市場として立ち上がりにくい。そのため同社は、共同研究やサービス提供だけでなく、脳体力という概念の普及基盤づくりにも関わっている。
その象徴のひとつが、一般社団法人脳体力振興協会の存在である。同協会は、「やりたい事をいつまでもできる世の中の実現」を掲げ、脳体力の概念の普及啓発、脳体力向上のためのソリューション開発、講座の実施、分野別の調査・研究、認定制度、自治体や企業などの活用共有の場づくりなどを行っている。
つまり、脳体力という考え方を単発のサービスで終わらせず、社会に根づかせるための受け皿が設計されているのである。リリースで公表された「脳体力ビジネスプランナー認定講座」も、その文脈の中に位置づけられる。
新規事業や行政サービス開発に関わる人が、健康経営や認知症対策などの課題をどう捉え、どのようにビジネスへ応用するかを考える内容であり、同社が単にプロダクトを販売するのではなく、概念理解と実装人材の育成まで射程に入れていることがわかる。
取材でも河越氏は、市場をつくりながら事業を進めているという感覚を語っていた。自社だけがすべてを売るのではなく、研究、基盤、概念普及、導入人材の育成を通じて、認知機能というテーマそのものが社会に根づくことを優先しているのである。
河越氏は、何を変えようとしているのか
河越氏の話を聞いていると、この事業は単なる事業機会の発見ではなく、より根源的な問題意識とつながっていることがわかる。
取材では、阪神・淡路大震災を含む人生上の大きな経験や、その後の社会課題への関わりについても語られた。過去にはシックハウスをめぐる社会的課題に対しても関与し、法改正や安全な環境づくりに関わる活動に参加してきたという。
新たな社会課題があれば、それを解決していくことが自らの人生の軸であった、という趣旨の発言もあった。
この文脈で見ると、脳体力という言葉も、単なる事業用語ではない。
認知機能を病気の周辺から切り離し、人生の基礎能力として社会の中に置き直すこと。人がより長く、自分のやりたいことを続けられる状態を支えること。
河越氏が変えようとしているのは、ひとつの市場というより、脳をめぐる社会の見方そのものなのである。
5年後、“脳体力”は社会のどこに根づいているのか
今後5年の射程で考えたとき、脳体力という概念はどこに根づいていくのか。
河越氏の発言からは、複数の入口が見えてくる。高齢化社会における自立支援は引き続き重要である。
他方で、働く世代のメンタルヘルスや人的資本経営、さらには事故予防やヒヤリハットといった労働安全衛生の文脈は、社会的な必要性と予算の動きの両面から見て、現実的な拡張先として存在感が大きい。
また、AIや因果推論の発展によって、企業ごと、個人ごとに異なる状態や施策の相性を、より細かく捉える未来も視野に入っている。
河越氏は、組織サーベイや人的資本経営の文脈において、主観アンケートだけでは把握しにくい状態を客観指標で補い、より適切な行動や改善につなげる可能性を見ている。
脳体力が当たり前になる社会とは、認知機能を恐れる社会ではなく、それを把握し、整え、使いこなす社会であるのかもしれない。
ZEROICHI編集部がいま注目する理由
ZEROICHI編集部がトータルブレインケアに注目する理由は、単なる新規サービスの面白さにはない。
同社が扱っているのは、高齢化、働き方の変化、人的資本経営、教育と学び直し、安全管理といった複数の社会課題のさらに手前にある、認知機能という基盤変数だからである。
河越氏の発言と同社の公開情報を重ねると、トータルブレインケアは認知機能を可視化する会社である以上に、認知機能を社会で扱えるものに変えようとしている会社として立ち上がってくる。
ここには、ZEROICHIが追うべき「0から1」の輪郭がある。
新しい市場の芽は、しばしば最初から明瞭なカテゴリーを持たない。まだ十分に言葉になっていない課題を、どのような概念で捉え直し、どのような順番で社会に実装していくか。その設計そのものに価値が宿る。
トータルブレインケアの挑戦は、まさにその局面にある。
脳体力という語が社会に定着するかどうかは、これからの実装にかかっている。しかし少なくともいま言えるのは、この会社が売ろうとしているのが単なる機能ではなく、社会の見方を一段変えるための指標であるということだ。
だからこそ今、ZEROICHIで取り上げる意味がある。
企業概要等
企業名:株式会社トータルブレインケア
所在地:兵庫県神戸市中央区港島中町4-1-1 ポートアイランドビル6F
代表者名:河越 眞介
資本金等:1億8922万円(資本準備金含む)
設立:2015年11月
URL:https://tbcare.jp/
原文リリース(参照)
2026年3月5日:「脳体力」で社会課題を解決する『脳体力ビジネスプランナー認定講座』を開講!
原文リリースURL:https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000049.000068511.html
※本記事は、原文から一部編集・要約して掲載しています。
誤解や偏りが生じる可能性のある表現については、原文の意味を損なわない範囲で調整しています。