堀江貴文氏は2014年10月13日、熊谷俊人千葉市長(当時、現在は千葉県知事)を取材。地方行政の未来などについて話を聞いた。千葉市長が描く将来の展望とは?(初回配信:2014年10月13日)
千葉ってもったいなくて面白い。ここならきっと役に立てる。
堀江貴文(以下、堀江) ありがとうございます。お時間いただいて。
熊谷俊人(以下、熊谷) 政治や行政というのは意外と面白いと思います。いろんな方に知っていただければと思いますし。
堀江 千葉って今、何人ぐらいですか?
熊谷 今、千葉市96万人ですね。
堀江 もうちょっといるかと思った。
熊谷 そうですね、政令指定都市って昔は100万都市というのが基準で、千葉市も100万都市を目指してたんですけれども、人口減少の時代になって予測を見てもギリギリ100万届かないだろうといった感じですね。
堀江 人口減少に入ってるんですか?
熊谷 まだ伸びてますけど、今96万人で、97~8で頭打ちになって下げ始めるだろうというのが、我々の予測ですね。下がらないように出来るだけしたいんですけども。
堀江 僕自身あまり千葉に来ないんですよ。特に千葉市にはあまり来ないです。
熊谷 でも幕張って行かれません?幕張もあまりないですか?
堀江 そっか。幕張は行きますね。
熊谷 幕張も千葉市なんですよ。
堀江 美浜区でしたっけ?
熊谷 そうです。千葉市美浜区にありますね。
堀江 こないだ、ZOZOTOWNの倉庫に行ってきましたね。彼ら、立ち上げ当初ぐらいに、うちの会社でモバイル用のサーバーのお手伝いとかしてた時期があって。ZOZOTOWNが出来たばっかりぐらいの頃ですけどね。そういうつながりもあって、たまたまうちのスタッフの後輩だったとか、そういうのがあったりで。
熊谷 ああいう会社が千葉市の経済界の中でいい感じに変えてくれるといいなと思うんですよね。
堀江 すごい地元愛。
熊谷 すごいですよ。幕張愛がすごいんですよ。幕張手当を出していて、そういう意味では本当にリーディングカンパニーですね。幕張の企業は幕張愛はあるんですけれども。
堀江 千葉愛はない?
熊谷 千葉市っていうのは。千葉市の方は、昔ながらの人たちが経済界でもやってますから、何となく幕張の新しい企業人からすると「いや、そういう人達と付き合ってもメリットないでしょ」っていうのが若干出ちゃうんですよね。なんとなく一体にならないんですよ。私たちの悩みでもあるんですけれどね。
堀江 千葉市自体の位置づけというか、経済的な部分での位置づけみたいなのって、東京との関係性を常に考えられるような気もするんですけれども。
熊谷 結構微妙なところでして。例えば川崎、横浜、さいたまっていうと、かなり東京に近いじゃないですか。千葉市はちょっと離れるんですよ。なので、東京のベッドタウン的な要素もあるんですけれども、実は京葉工業地域としての工業も含めての、若干独立した経済圏も持っているという。非常に中途半端な微妙なラインがありますね。
堀江 そうか。工業地帯があるからね。
熊谷 もともとここは川崎製鉄の城下町でもあるんですよ。戦後、巨大な工場が出来て、そこに15000人ぐらい働いていた時代があるんですね。それで発展して、そこに東京電力の発電所や様々な食品コンビナートが出来て、内陸部には重化学工業と、さらに発展してきた。そしてそこに新たに幕張新都心というものが出来て、第二のエンジンとなって、ここまでの大都市になった。戦後一気に成長した町ですね。
堀江 戦前はそうでもなかった?
熊谷 そうなんですよ。47都道府県の県庁所在地の中で、戦後、人口増加率が一番高いのは、実はこの千葉市なんです。だから実は、戦前はそんなに大都市じゃないんですよ。軍事施設が数多くここにはあって、軍都だったんですよ。陸軍や戦車の連隊などがあって、結果、そこに医療機関も集まって、そういう町として戦前は発展したと。実は、県庁がおかれるまでの間、大名の城下町でも何でもなくて、本当寒村ですよ。寒い村。
堀江 どうしてそんなところに県庁が置かれたんですか?
熊谷 ちょうど千葉県が廃藩置県の中で三つぐらいの県がおかれて。まだ千葉県になる前ですね。その三県が合併したときに、ちょうどその真ん中が千葉市だったんですよ。そんな何もないところに県庁がポンと置かれて、そこから一気に発展して、道路も全部そこを通るように出来て、交通の要所になって生まれた。
堀江 人工的に作られたに近い。
熊谷 そうですね。ですから本当に、明治以降に発展した。その前に行くと、頼朝の時代に、千葉氏っていうものすごく有名な、最大御家人の一人がそこにいて、その城下町として発展していた時期は、1200年代あたりにはあるんですよ。しかし、その後千葉氏が没落して、あとは…
堀江 打ち捨てられたというか。
熊谷 申し上げた通り、県庁が置かれた明治維新後に、ようやくまた町として戻ってきたっていう感じですね。開けた歴史っていうのは1000年近くあるんですけど、途中ほとんど町として存在していない神社の門前町。千葉神社っていうのがあるんですけど、そこの門前町としてのみずっと続いてきた時代が600年、700年ぐらいなんです。不思議な町ですよね、すごく。
堀江 どうして千葉に来ちゃったんですか?
熊谷 私はそれまで神戸にいて、社会人になってから千葉なんですけれども、政治をやっていく中で、千葉ってやっぱり面白いんですよ。すごく突っ込みどころが多くて、勿体ないのがいっぱいあるんですよね、磨かれてないというか。ここだったら、自分としては役に立てるだろうなって。
堀江 例えばどういう?
熊谷 例えば、さっき言ったように幕張が千葉市にあるっていうことすらも、うまく統一してブランディング出来てなかったりするんですよ。あと千葉って大昔から海の幸、山の幸が豊富な県なのに、あまりPRしないんですよ、外に対して。がっつかないというか。県民性がおっとりしていますね。位置的に一番どん詰まりですから、埼玉や神奈川と比べると、人の往来がそもそも絶対的に少ないというのもあって。だから、私みたいな部外者が、行政であったり、経済の中心的な役割になるっていうことそのものがあまりなかった地域ですね。
堀江 確かに、千葉の先って海ですもんね。
熊谷 そうなんですよ。だから、千葉に行く理由がある人しか千葉に来ないじゃないですか。神奈川と埼玉は違いますよね。なんとなく通ったことはだいたいあるでしょう。場合によっては立ち寄るかもしれないし。
堀江 そういうふうな視点で考えたことないですね。
熊谷 私もそうなんですよ。千葉に来るまでは、埼玉、神奈川と同じような東京につながっている首都圏の一県という位置づけだったんですけれども、住んでから違和感を感じることが多くて、自分で調べていくと。
堀江 そんなに変わるもんですか?
熊谷 だいぶ違いますね。私もこれは、最初戸惑いました。
堀江 大変ですね、政令指定都市って。どこもそうですけど。
熊谷 そうですね。ですが、私も含めて住んでる人間はすごく楽しいですよ。幕張メッセですごい最先端のイベント見た後に、田舎でピクニックとか芋掘りとかすぐ出来たり、両方味わえるので。
熊谷俊人(Toshihito Kumagai)
1978年2月18日生まれ。神戸市出身。千葉市稲毛区在住。2001年 早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。同年、NTTコミュニケーションズ株式会社入社。2006年 NPO 政策塾「一新塾」第18 期生。2007年 千葉市議会議員選挙(稲毛区)に立候補、8,570 票を得て初当選。2009年6月、千葉市長に立候補、170,629 票を得て初当選。当時最年少の31歳で市長に就任。現在は千葉県知事を務める。