中トロと豚足2号店の外観。店頭には「全品390円均一」や1円商品の看板が掲示されている。
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話題の店で終わるか、文化になるか。中トロと豚足をZEROICHIが再び追う理由

株式会社鶏の美術館ホールディング(大阪府大阪市北区 代表取締役 増井鉄規)が展開する《中トロと豚足》は、前回掲載時、「家飲み以下のコストで、人と笑い合える場はつくれるのか」という問いとともに取り上げた店舗である。

日本酒1円という極端な価格設定はたしかに強い印象を残す。しかし、この店を単なる“激安の話題店”として消費してしまえば、本質を見失う。

前回の記事で見ようとしたのは、物価高の局面で削られがちな外食や外飲みが、単なる支出の問題にとどまらず、人が人と交わる日常の場そのものを失わせつつあるのではないか、という点であった。

外で飲むことは、価格の上昇とともに少しずつぜいたく品に近づいた。その結果として広がったのが家飲みであり、一人で完結する余暇である。合理的ではあるが、そこでは偶発的な会話も、場の熱気も、隣り合わせの笑いも生まれにくい。

では、その失われつつある場を、低い負担で再び日常に戻すことはできるのか。《中トロと豚足》が提示したのは、まさにその仮説であった。

あれから時間が経ち、当時構想段階にあった展開は実際の出店へと動いた。価格設計は維持と調整を繰り返しながら続き、店そのものも“ただ安い店”からもう一段先へ進もうとしている。

今回は、同社執行役員 CEO の神田聖義氏への取材をもとに、前回提示した問いが時間経過に耐えうるのかを改めて見ていく。

これは再紹介ではなく、検証である。

安さは続いているのか。楽しさは再現できるのか。そしてその営みは、いまの時代においてどのような意味を持ちうるのか。

物価高の時代に、“外で笑う”ことはぜいたくになった

物価高は、生活者の家計だけを圧迫しているわけではない。人が人と会う頻度、その場にかけられる金額、ふらりと外に出る余白までを削っている。

外食や外飲みは、真っ先に見直される支出である。以前なら仕事帰りに気軽に立ち寄れていた一杯も、週末の小さな楽しみだった外食も、いまは躊躇の対象になりやすい。

その結果として広がる家飲みは、たしかに合理的である。

しかし、合理性の裏側では、日常の社交が静かに縮んでいく。

人と人が同じ空間にいて、偶然同じタイミングで笑うこと。店員の一声に場全体が反応し、知らない客同士が一瞬だけ空気を共有すること。そうした出来事は、自宅では代替しにくい。

したがって、この店を“安い居酒屋”としてだけ扱うのは不十分である。

ここで問うべきは、失われつつある外部の社交の場が、低い負担で再び成立しうるかという点である。前回も今回も、見ている問題設定はそこにある。

中トロと豚足は、この半年で何を変えたのか

株式会社鶏の美術館ホールディング 執行役員CEO 神田聖義氏のポートレート写真。
今回の取材で話を聞いた、株式会社鶏の美術館ホールディング 執行役員CEO 神田聖義氏。

神田氏への取材でまず確認されたのは、構想として語られていた展開が、実際の動きとして進んだことである。

前回時点では「2店舗目の話がある」という段階であったものが、今回は実際の出店として形になり、別の場所・別の条件の中で、同じコンセプトがどこまで立ち上がるのかを試す局面に入っている。

これは単に店が増えたという話ではない。1店舗だけが強く目立つのであれば、それは依然として“話題店”の範囲にとどまる。

しかし、異なる箱の中でもなお、安さと賑わい、参加感の核が再び立ち上がるのであれば、そこには再現しうる構造があるということになる。

また、店の受け止められ方にも変化がある。神田氏の認識では、来店客は特定の層に限定されず、幅広い年代に広がっているという。

若い客がSNS的に消費するだけの店ではなく、家族連れや幅広い生活者がそれぞれの文脈で使う店になりつつある。

ここに見えるのは、珍しさの消費から、使われる場への移行である。

安さは続いているのか――「激安」の継続と調整

《中トロと豚足》を象徴するものとして、日本酒1円という価格設定は今も強い。

だが、物価高の局面でこの水準を掲げ続けることは、当然ながら容易ではない。仕入れや運営コストは上がる。価格は一度打ち出せばそれで終わりではなく、維持するための調整と判断が絶えず必要になる。

神田氏への取材で見えたのは、まさにその調整の現実である。

超低価格の核は守りながらも、全体としてどこを維持し、どこを見直すかという運営判断を続けている。ここで重要なのは、価格の数字だけを固定的に見ることではない。

むしろ問うべきは、安さという入口が、いまも変わらず機能しているかである。

実際、競合もまた激安の打ち出しを模倣し始めている。価格だけなら、いずれ真似される。

だからこそ、この店を価格の異常値だけで読むのは危うい。来店のきっかけとしての安さは強い。

しかし、それだけでは残らない。安さが何に変換されるのか、そこに意味がある。

ただ安いだけでは残らない。“思い出作り”としての居酒屋体験

今回の取材で最も重要だったのは、神田氏が「安さは入口である」と明確に捉えていた点である。神田氏が本質として語ったのは、接客、おいしさ、そして「思い出作り」であった。

この店では、価格やメニューだけではなく、店員の掛け声やパフォーマンス、場を巻き込む動きそのものが体験の一部になっている。客はただ座って飲食を受け取るだけではない。目の前で何かが起こり、それに周囲が反応し、自分も少しだけその場に参加してしまう。

そうした参加感が、単なる会計金額以上の記憶を残す。

一人で来ても入り込みやすく、誰かと来れば共有する思い出が生まれやすい。ここで起きているのは、「安いから一度行く」から「面白かったからまた行く」「誰かを連れて行きたくなる」への変化である。

つまり、価格訴求から記憶価値への転位である。

この転位がある限り、《中トロと豚足》は単なるコスパの店ではない。価格を話題に変え、話題を体験に変え、体験を記憶へと接続する。

その設計が見えていることが、この店の大きな強みである。

“家飲み以下”の先にあるもの――人が混ざる場は本当に生まれているか

家飲みと比較するとき、本当に重要なのは酒の値段そのものではない。家では起こりにくいことが、そこでは起きているかである。

神田氏への取材で浮かび上がったのは、客と店員、あるいは客同士の距離が比較的近く、偶発的な会話や共有された笑いが生まれやすい場の構造である。

もちろん、すべての客が積極的に交流するわけではない。しかし、少なくともその余地が場の中に組み込まれている。

席の近さ、店員の働きかけ、名物メニューの演出、それに反応する周囲の空気。それらが重なることで、一人で黙って消費して終わるだけの時間にはなりにくい。

さらに重要なのは、客層の広がりである。

若者の流行消費に閉じているのではなく、幅広い年代や家族層も訪れているという点は、この店が一部の人のための尖った場ではなく、比較的広い生活者に開かれた場として受け止められ始めていることを示す。

ここでいう“公共圏”とは、難しい理念用語ではない。

まずは、所得や属性にかかわらず、低い負担で場にアクセスでき、同じ空間の空気を共有できること。

その初歩的な条件が、いまの時代には意外なほど失われている。その意味で、《中トロと豚足》がつくっているのは、飲食店であると同時に、低負担で他者と混ざることのできる場でもある。

2店舗目で見えたもの――拡張は「複製」ではなく「翻訳」であった

2店舗目の意味は、規模拡大それ自体にはない。重要なのは、同じコンセプトが、異なる条件の中でどう成立しうるかが試されている点にある。

神田氏への取材から見えてきたのは、本店の完全コピーをつくっているわけではないという事実である。

新しい店舗では、その場所や箱の特性に応じて内容が翻訳されている。本店で成立していたものをそのまま機械的に移すのではなく、何を核として残し、どこを場所に応じて変えるかを見極めている。

ここに、多店舗化の本当の難しさがある。

価格やメニューだけなら複製は可能である。しかし、場の空気、接客の熱量、客を巻き込むテンポ、参加したくなる雰囲気といったものは、数字のようには移せない。

2店舗目は、その見えにくい要素の再現性が問われる場になっている。

ゆえに、この拡張は“複製”ではなく“翻訳”である。何を守れば《中トロと豚足》たりうるのか。その核を移植できるかどうかが、今後の展開を左右する。

激安居酒屋は増やせても、“意味のある安さ”は増やせるのか

激安を掲げる店は、今後も増えるであろう。SNS時代において、価格のインパクトは短期的な話題になりやすい。しかし、話題になった店がその後も残るかどうかは別問題である。

中トロと豚足の価値構造を示した図解。超低価格・低負担を入口に、来店しやすさ、人の集まりやすさ、参加体験や偶発的交流、思い出作り、再訪・紹介、2店舗目展開や再現可能性へとつながる流れを整理している。
《中トロと豚足》の強みは、安さそのものではなく、安さを入口に“場の価値”へ転換している点にある。

《中トロと豚足》の競争優位は、安さにあるのではなく、安さに意味を与えている点にある。

価格を入口にしながら、そこで終わらせず、場の体験へ接続し、その体験を「また行きたい」「誰かを連れて行きたい」という記憶に変えていく。

この因果が成立している限り、単なる価格競争の店とは異なる位置に立てる。

加えて、商品開発の更新もこの店の重要な要素である。安さだけではいずれ飽きられるという認識のもとで、新しい打ち出しや新商品を試し、反応を見て調整していく運用が行われている。

そこには、一発のバズで終わらず、場の鮮度を保ち続けようとする姿勢がある。

安い店は増やせる。しかし、安さを入口に、他者と笑い合う体験と記憶を生む店は、そう簡単には増やせない。

ここに、《中トロと豚足》が単なる話題店にとどまるか、ひとつの文化的なモデルに近づくかの分岐がある。

続けるために必要なこと――健全運用とブランドの線引き

もっとも、このモデルは自動的に成り立つものではない。続けるためには、場の熱量と運営の健全性を両立させる必要がある。

深夜帯の運用、年齢確認、近隣への配慮、盛り上がりと秩序のバランス。楽しい場であるほど、そうした管理は表に出にくいが、実際にはそこでの判断が店の継続性を左右する。

単に盛り上がればよいわけではない。続けられる場であるためには、場を支える運営の安定性が必要である。

また、拡張時に守るべきものも明確でなければならない。

守るべきなのは、価格のインパクトだけではない。誰でも入りやすい空気、店員との距離の近さ、思い出を残す接客の熱量、そして過剰な誤読を招かない表現設計である。

安さだけを維持しても、場の質が痩せればブランドは残らない。続けられる安さと、続けられる場は別である。この区別を運営側がどこまで持ち続けられるかが、今後の鍵になる。

ZEROICHIがいま再び取り上げる理由

初回で取り上げた理由は、「こんなに安い店がある」という驚きを増幅するためではなかった。

物価高の時代において、外で人と笑い合える場を低い負担でつくり直すことはできるのか。その問いを立てる価値があったからである。

そして今回、再び追う理由もまた同じ線上にある。前回提示した問いが、時間の経過とともにどのような実態を持ち始めたのかを確認する必要があるからである。

2店舗目が動き、価格設計の維持と調整が続き、運営の言葉として「思い出作り」が明確になってきた。

そこには、単なる繁盛店の紹介ではなく、ひとつの仮説が現実の中でどう育っているかを見る価値がある。

注目しているのは、珍しさや過激さではない。

見ているのは、物価高時代の娯楽アクセスのあり方であり、家飲みでは代替しきれない交流の価値であり、低い負担で開かれた場が本当に成立しうるのかという点である。

もし安さに意味があり、その意味が継続し、別の場所にも移しうるのであれば、それは単なる一店舗の繁盛を超えた示唆を持つ。

《中トロと豚足》を再び取り上げる価値は、ただ安い店だからではない。安さを通じて人が集まり、笑い、場が生まれる仕組みが、本当に成立しているのかを見る価値があるからである。

話題の店で終わるか、文化になるか。その分岐点にあるからこそ、いま再び追う意味がある。

会社・店舗情報

会社名 : 株式会社鶏の美術館ホールディング
代表者名 :代表取締役 増井鉄規
店名:中トロと豚足
本店所在地 :大阪府大阪市北区錦町3-12 アウロラビル地下1F
二号店所在地:大阪市北区天神橋4丁目4-21Deelビル1階
公式Instagram:@chutorototonsoku

過去掲載(参照)

2025.11.07:物価高騰時代に人と笑い合える場を―《中トロと豚足》がつくる新しい居酒屋文化
掲載URL:https://zeroichi.media/food/34126

※本記事は、取材および公開情報をもとに構成している。事実関係や固有情報については、公開情報を参照のうえ確認した。