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脳梗塞・不整脈の早期発見を目的とした データ収集アプリを開発。 【慶大・木村特任助教が語る ヘルスケア・アプリの未来とは? その3】

堀江貴文氏は5月25日、慶應義塾大学の木村雄弘氏を取材。「ヘルスケア・アプリ」の未来などについて話を聞いた。(初回配信日:2016年6月2日)

このアプリが、ちょっとした健康診断代わりになれば嬉しい

堀江 こういうアプリは、世界でどれくらい出ているんですか?

木村 アメリカでは当初は数個だったのですが、現在では既に10以上あります。国内では、ハート&ブレインが最初(2015年11月)で、順天堂大学が「ロコモティブシンドローム(運動器症候群。骨・関節・軟骨など運動器の障害によって、立ったり歩いたりする移動機能が低下した状態)」、パーキンソン病、ぜんそく、東京大学が糖尿病に関するアプリをリリースしました。(順天堂大は他にもパーキンソン病のアプリも出しているようです。参照:http://www.apple.com/jp/researchkit/

堀江 このアプリは、アップル社の「リサーチキット(Research Kit)」(Apple社が2015年3月に発表した医学研究のためのオープンソースフレームワーク。iPhoneなどを利用して医療データを収集する)を利用して作られたんですよね。

木村 はい。アプリの構築を非常に簡単にしてくれます。臨床研究アプリケーションとしてユーザーインターフェースに統一感がでるのもいいですね。

堀江 これからは、もっと普通のアプリでも「リサーチキット」を利用するのもいいですよね。例えば、健康状態に応じて運動量を調節するアプリとか……。

木村 一応、臨床研究専用のフレームワークということになっていますが、例えばレストランの検索をした時に、その人の健康状態のデータと関連させて、「こういう体調のときは、こういう食事はダメ」みたいなアナウンスができたらいいですね。

堀江 ゲーム性を持たせたら、やる人が増えそうですよね。これをやると「コイン100枚もらえます」……みたいな。

木村 まさにそうです。習慣的に利用してもらう工夫が課題だと思っています。

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堀江 心臓が悪い人って、倒れるまでなかなか検査をしないイメージがあるんですがどうですか?

木村 心臓の病気の特性として、「今日は良くても明日はわからない」「先を予知できない」というのがあります。

堀江 そうなんですか。すごく健康だったのに、突然、亡くなられる方もいらっしゃるなんですか?

木村 いらっしゃいます。いわゆる心臓突然死ですね。血圧が高いとか、コレステロール値が高くて、徐々に動脈硬化が進んでしまって、心筋梗塞などの致命的な病気を起こすこともありますが、全く予知できない場合もあります。

堀江 心疾患のトップ3は何ですか?

木村 「心不全」「虚血性心疾患」、あとは「不整脈」ですね。

堀江 心不全の原因は?

木村 虚血性心疾患や、弁膜症、心筋症などが原因で、心臓のポンプの力が悪くなる事をいいます。

堀江 心臓のポンプの力が弱くなるというのは、どういうことなんですか?

木村 例えば、心臓の血液逆流防止弁が壊れたり硬くなってしまうと、血流が妨げられたり逆流するので心臓に負担がかかって、息切れや運動機能の低下につながります。

堀江 心臓の病気って、命に直結するじゃないですか。だから怖いですよね。

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木村 必ずしも症状があるとは限りませんからね。健康診断は無症状の病気を見つけるのに大切ですね。逆にいえば、健康診断をしなければ見つからないものも多いです。だから、こうしたアプリがちょっとした健康診断の代わりになって、そういった病気を見つけるきっかけのツールになれば嬉しいです。

堀江 やっぱり、健康診断はやっておいた方がいいんですよね。なんとなくわかってはいるんだけど、年をとると気をつけてくださいって言われることがちょっとずつ増えてくるんですよね(笑)。

木村 でも、間違いなくやっておいた方がいいですよ。毎年、健康診断を受けていると自分自身のデータも蓄積されるので変化もわかるし、それに応じて検査することもできますし。

堀江 やっぱり経過を見るっていうのは大事なんですね。

木村 そうですね。日本は他の国と比べて健康診断の受診率自体はとても高いです。ただ、問題はその後で、何か引っかかったときに「まあ、いいや」ってすませるか、その後に精密検査を受けるかで大きく変わってくることがあります。

堀江 放置してる人って多いですよね。

木村 症状がないとなかなか病院には行きたくありませんよね。

その4に続く

木村雄弘(Takehiro Kimura)

医学博士、慶應義塾大学医学部循環器内科特任助教 (当時) 。1978年生まれ、東京都出身。慶應義塾大学医学部卒業後、慶應義塾大学病院勤務