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「ハイパーカミオカンデが完成すれば、宇宙のメカニズムが解明できるかもしれない」 【梶田隆章が語る宇宙研究の現在と未来とは?その4】

堀江貴文氏は9月1日、東京大学宇宙線研究所の梶田隆章氏を取材。「宇宙研究」の現在と未来などについて話を聞いた。(初回配信日:2014年9月4日)

宇宙を理解するためにはダークマターは避けて通れない問題

堀江 でも、ニュートリノ振動の発見だけでもすごいことですよね。こういうことは予測をしてやっているんですか?

梶田 ニュートリノ振動については、今から52年くらい前に理論的にはわかっていたんですけど、一方でニュートリノにそもそも質量があるのかどうかがわからなかったし、あってもどのくらいの重さかもわからないしということでした。それに、ニュートリノ振動について言うと、それを見つけようとしていたわけではなくて、観測していたらどうもおかしいと……。

堀江 どうもおかしい……。たまたま、見つけたんですか?

梶田 そもそもカミオカンデは陽子崩壊を見つけるための装置だったんですよ。それで陽子崩壊にとってニュートリノは邪魔者で、その邪魔者の研究をしていたら、どうもおかしいと思ったわけです。

堀江 見つけようと思ったわけではなくて、なんか見つかっちゃったみたいな感じなんですね(笑)。じゃあ、スーパーカミオカンデの次のハイパーカミオカンデってなんですか?

梶田 これは、まだ構想の段階なんですが、スーパーカミオカンデよりも大きなもので、もし、これができればニュートリノ振動の研究をさらに進めて、宇宙になぜ物質だけが残ったのかというメカニズムの解明などができるかもしれないということでやっているんです。

堀江 そうなんですね。じゃあ、ダークマターを観測するXMASSは、どのような装置なんですか?

梶田 液体キセノンの周りに光電子倍増管を配置しています。そして、その周りを水で覆っています。水で覆うことで岩盤からの放射能を遮断します。そして、ダークマターがキセノンとぶつかることで光が出るようになっています。

堀江 なんでキセノンと衝突するんですか?

梶田 すると仮定しているということです。ダークマターが超対称性の粒子だとすると、キセノンと時々ぶつかってもいいはずだと。

堀江 それは、キセノンの原子核が大きいからですか。

梶田 いや、キセノンが光を出してくれるからキセノンを使っているのです。基本的にはなんでもかまわないんですが、たとえば水だと原子核がものすごく高速で飛ばなければチェレンコフ光が出ないんですが、キセノンだと原子核がゆっくり走っていても光を出してくれるからです。

堀江 それはどうしてですか?

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梶田 ダークマターがぶつかって、キセノンが水の中を走ると周りにエネルギーを与えていって、そのうちに止まります。そうすると、そのエネルギーを与えられた分子が、励起状態になって光るんです。そういうことが起こっているだろうと、思っているんです。

堀江 こうしたダークマターの観測は世界中で行われているんですか?

梶田 かなりの数の施設があって、世界中で競争していますね。

堀江 最初はどんな人たちがやりはじめたんですか?

梶田 詳しくは知りませんが、ダークマターの問題は天文学ではかなり前から知られていました。そして、素粒子や宇宙線の研究者たちが検出を試み始めたのは、80〜90年代だと思います。宇宙を理解するためにはダークマター問題は避けて通れないものです。そういう意味で研究のモチベーションは高いと思います。

堀江 そうですか。本当に本日はありがとうございました。理解がとても進みました。

梶田 こちらこそ、ありがとうございました。

堀江 この研究所には何人ぐらいの方がいらっしゃるんですか?

梶田 大学院生も含めて、宇宙線研究所全体のサイエンティストは100人前後です。

堀江 そんなにいらっしゃるんですか。宇宙とかにも研究所が作れるといいですね。僕、今、宇宙ロケットを作っているんですけど、そういうことができるようにしたいんです。

梶田 すばらしいですね。

堀江 宇宙に行くのは高いじゃないですか。それをメチャクチャ安くしたいんです。

梶田 今ですと、ロケットを1回打ち上げると100億円規模ですよね。

堀江 そうですね。それを数千万円でできれば、こうした施設を宇宙にたくさん作ることが現実的になってくると思うんです。

梶田 期待しています。よろしくお願いします。

堀江 いえいえ、本日は本当にありがとうございました。

その1はこちら

Photograph=柚木大介 Text/Edit=村上隆保

梶田隆章(Takaaki Kajita)
理学博士、東京大学宇宙線研究所所長。
1959年生まれ。1986年東京大学大学院博士課程卒業後、東京大学理学部助手を経て、1999年東京大学宇宙線研究所教授に。その後、2008年同研究所所長に就任。ブルーノ・ロッシ賞、米・バノフスキー賞など数々の科学賞を受賞。ノーベル物理学賞にもっとも近い日本人のひとりとも言われている。